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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)7147号 判決 1956年4月24日

原告 榎本捷治

被告 石山一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し東京都杉並区井荻二丁目六十八番地にある家屋番号同町二七〇番木造瓦葺二階建店舗一棟建坪十三坪五合二階十坪の内階下六畳の室を除くその余の部分を明け渡し、且つ昭和三十年八月一日からその明渡のすむまで一ケ月金千二百九十六円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めその請求の原因として次のとおり述べた。

一、本件家屋は原告の所有であるが、被告はその内の係争部分を不法に占有中である。

二、被告は、原被告間には昭和二十七年七月七日裁判上の和解が成立し(東京地方裁判所同年(ワ)第九三号家屋明渡請求事件、以下本件和解と呼ぶ)、被告はこの和解により原告から係争部分を賃借し今日に至つているとするもののようであるが、その和解は次の理由により無効である。すなわち、本件和解は原告の親権者榎本ひでと被告訴訟代理人弁護士上田誠吉との間で行われたものであるが、上田弁護士には被告を代理して和解をする権限がなかつた(仮にその権限の授与があつたとしても、その証明方法は民事訴訟法第八十条第一項により原則として記録添付の訴訟委任状に限られるものであるところ、前記事件における被告の上田弁護士に対する訴訟委任状には和解に関する権限の記載がないから上田弁護士はその権限を主張するに由ないものである。)から無権代理行為として無効たるべきである。かような場合には、本人は相手方が取消の意思表示をするまでは追認により無権代理行為を有効とすることができるが、原告は被告の追認のないまゝ昭和三十年八月二十四日附即日到達の書面で被告に対し本件和解を取り消す旨の意思表示をしたから、同和解の無効はこゝに確定したのである。

三、被告は本件和解をほかにしては係争部分を占有する何らの権原も有するものではないから同和解が無効である以上被告の係争部分の占有は当然に不法となるべきであるが、係争部分の統制賃料額は月額千二百九十六円であつて、原告は被告の係争部分の不法占有によりこれと同額の損害を蒙つているから、係争部分の明渡と併せて被告が右不法占有を始めた後の昭和三十年八月一日からその明渡のすむまで一ケ月千二百九十六円の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだ次第であると述べた。<証拠省略>

被告訴訟代理人は主文と同趣旨の判決を求め答弁として次のとおり述べた。

一、原告の主張事実は、被告係争部分の占有が不法であるとの点及び本件和解について上田弁護士にその権限がなかつたとの点を除いてすべて認める。

二、原告主張の訴訟事件における被告の訴訟代理人弁護士上田誠吉は昭和二十七年二月頃から民事訴訟法第八十一条第一項及び第二項に規定する訴訟行為はもとより裁判上たると裁判外たるとを問わず原告との間の本件家屋の使用をめぐる紛争に関し一切の行為をする権限を授与された。もつとも前記訴訟について裁判所に提出された同弁護士に対する訴訟委任状には民事訴訟法第八十一条第二項に規定する訴訟行為について特別の委任をする旨の記載が脱漏していたが、被告と上田弁護士との間の代理権授与の範囲は前記のように委任状掲記の行為に限定されたものではなく、裁判上の和解をする権限をも含んでいたのであるから、上田弁護士が被告の訴訟代理人としてした本件和解には何らの瑕疵もない。仮に原告主張のような瑕疵があるとしても、訴訟上の和解は一面において訴訟行為であると同時に他面において私法上の和解契約の性質をもつものであり、訴訟代理権の証明はこれを書面を以てすべき旨の法則は専ら訴訟法上の形式に関する法則であつて、私法上の和解について代理人の権限が常に書面を以て証明されることまで要求するものではない。そして、上田弁護士は右の私法上の和解をするについて被告から代理権を与えられておりその代理権に基いて本件和解契約を原告との間に結んだのであるから、同弁護士の行為は無権代理行為ではなく、従つて、本件和解契約の内容たる係争部分の賃貸借契約は私法上有効に成立しており、被告はその契約に基いて係争部分の占有をしているのである。(本件和解契約によつて原告は係争部分を昭和二十七年七月七日から三年間被告に賃貸することになりその賃貸借は昭和三十年七月七日更新され今日に至つている。)

三、なお原告主張の和解取消の意思表示は本件和解についてこれが裁判上の和解としての効力を否定する理由とはなつても、これが私法上の和解契約としての効力を否定する理由となるものではない。と述べた。<証拠省略>

理由

被告本人尋問の結果によると、被告は本件和解に先き立ち上田弁護士を原告主張の訴訟事件の代理人に選任し、同弁護士に対し右事件に関する一切の権限を授与したものであつて、この訴訟委任について裁判所に提出した委任状に和解に関する権限の記載がない(この記載のない点は当事者間に争がない)のは不注意によりこれを遺脱したものであることが認められるから、本件の主要な点は、裁判上の和解における代理人の権限は必ず訴訟記録添付の委任状で証明されなければならないものであるか否かに帰着すべきである。

民事訴訟法第八十条第一項及び第三項によると訴訟代理人の権限の証明は裁判所書記の調書による場合を除きすべて記録添付の委任状によつてなされなければならないように見えるがこの規定は主として訴訟提起又は係属の段階において、爾後の訴訟追行に関し予め代理権存在の範囲を記録上明確にし、事毎に代理権存否の問題の生ずるのを避け訴訟手続の安定とその迅速な進行を計るために設けられたものであるから、訴訟が終了した後に既往の訴訟代理行為について代理権の存否を証明する際にまでこの規定を適用すべきかどうかは別個の考慮によつて決せらるべきである。そしてこの場合には訴訟の迅速な進行という問題は生ずる余地がなく、また訴訟手続の安定という面からすると、記録添付の委任状による明証以外に訴訟代理権の存否につき一切その証明を許さないとするのは余りにも形式的にすぎそのために折角訴訟によつて形成された実体的法律関係がことごとく覆えされるというに至つては訴訟手続の安定は反つて害されるべきであるから、訴訟手続が終了した後に既往の訴訟代理行為について代理権の存否を証明する場合には右規定の適用はないものと解するのが相当である。

しかして、本件和解についての上田弁護士の代理権限が記録添付の委任状以外の資料によつて認定され得ることは先に指摘したとおりであるから、右和解はもとより有効であつて、これを無効とする原告の主張は何らいわれのないものというべきである。

ところで、原告の本訴請求は結局において本件和解の無効であることを前提とするものであるからその請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中盈)

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